マスコミ時評
〜愛媛新聞メディアのページ(2004年6月7日)より転載〜

禁煙報道(新野 正治)
論調甘く切り込み浅い

 五月三十一日は世界禁煙デーだった。各マスコミは、各地であった禁煙に関する諸問題や催しを報道していた。しかし、愛煙家記者が記事を書いているのではと思うほど、禁煙に対する論調の甘さが気になった。

 「たばこが体に悪いことは知っている。でもたばこの害で命が短くなっても構わない、自分のことだからあきらめる。」喫煙者がよく使う言葉である。

 よく考えてみてほしい。喫煙により、がんをはじめいろいろな病気にかかる可能性が高くなる。病気になれば治療費が必要で、通常は国民が加入している医療保険が使われる。結果的に、喫煙で病気にかかった治療費の一部を、非喫煙者も負担することになる。

 また療養などのため労働力も低下する。他人のたばこの煙を吸わされる受動喫煙の健康被害はより深刻である。たばこのポイ捨てなど喫煙者のマナーの悪さは環境美化の敵だ。これら全て、いわゆる「自己責任」では済まされないのである。

 自動販売機の設置により、若年者などが容易に喫煙できる状況も忘れてはならない。日本では、若年者や女性の喫煙率が高い。未成年者の喫煙は、非行につながる可能性も否定できない。妊婦では、生まれてくる赤ちゃんへの悪影響もある。

 健康増進法によると、学校、病院、官公庁施設、飲食店など多数の者が利用する施設の管理者は、受動喫煙防止の措置を講ずるよう努めなければならない、とある。しかし一部の飲食店では景気が悪いため、客層を絞ることになってしまう禁煙化に踏み切れないとも聞く。まして監督官庁でさえ対応が一定していないとされる。

 公共施設や学校内での建物内禁煙と敷地内禁煙の区分や分煙の有効性の問題も残っている。

 新聞報道では、これらの点を提起しているのみで、切り込みが浅い。もっと深く掘り下げてほしかった。

 テレビを見ていても疑問を感じることがある。ドラマには喫煙シーンがよく出てくる。CMを自粛しているスポンサーに配慮し、番組の中でシーンを増やして宣伝に換えていると考えてしまうのは邪推だろうか。

 あこがれの俳優が喫煙している場面を未成年者が見て、たばこに心が傾かないとは考え難い。喫煙シーンは間を取ったり、場面転換には有用であろうと想像できるが、社会的使命を担うテレビ局は有用性以上に青少年の健全育成に対する配慮が必要だ。

 マスコミとしては、飲食店、たばこメーカー、販売者そして熱心な愛煙家などのことを考慮し、決定的な喫煙否定の言葉は使用しづらいのだろう。禁煙運動推進家や医師の言葉を引用するだけで、記者自身の言葉を記事中に見いだせない。

 ひいては真に禁煙を推進しようとしているのか、懐疑的にならざるを得ない原因となる。

 今や小学生でもたばこの害を知っている。マスコミだけが”八方美人”であり続けようとする時代は過ぎたのではないだろうか。

(松山市医師会理事)